20090729

木サッシと外部木製建具としての窓。の違いとは、なんなんだろう。

サッシというものは、窓と窓枠がセット。で、サッシです。
外部木製建具は、通常は、窓枠は、大工さんがとりつけてくれます。
窓は、建具屋さんがつくってくれます。

木は、生きていますから、うごいたりするんです。
故障がおきた場合、責任の所在が、あいまいになりがちです。
大工さんにみていただくのか、建具屋さんに、みていあだくのか、設計士さんも工務店さんも、悩んでしまう場合があります。

気密パーツや窓の可動パーツは、窓とまどわくの間に必要なんです。
大工さんがつけるのか、建具屋さんがとりつけるのか、むずかしいところです。

20090715

引き違い窓と上げ下げ窓、その心は似ているのではないか。

石の建築が多い英国からの移民を中心として建国された米国では、古くから上げ下げ窓が日本で言うところの引き違い窓のように多用されてきました。
そんな「上げ下げ窓(ダブルハング)」は、日本のうつくしさ、やさしさと、”いかに自然体であるか” についてよく計算された「引き違い窓」に似て、西洋の引き違い窓ともいえるのではないか、と思うんです。

どこらへんの心が引き違い窓に似ているのか

それぞれの窓は、その成り立ちに、建物のつくりが大きく影響しています。
石やレンガでできた壁構造の建築物では、窓の幅を広げると、構造的な強さをうむ壁が減ってしまうという理由から、窓は縦に細長く進化し、上げ下げ窓が普及したものとおもわれます。
一方、日本のような木造の建築物は、骨組みで構造的な強さをうむことから、石造りの建物に比べて壁が少なく、窓の幅を広く取れるため、重力に逆らわない自然な開閉方式として、引き違い窓が普及したのだろうとおもいます。

石造りで引き違いの採用は困難でも、
現代の木造建築なら、上げ下げ窓も抵抗なく採用できる理由


今日は、皆が情報を公開、共有し、誰でもよいものにふれることができる時代なんですね。ここに、増田正先生の「屋根,棟飾」という写真集があります。

本を開くと最初に登場するのが、このすばらしい1887年の北海道、佐藤家の ”にしん番屋” の上げ下げ窓。じつにしっとりしております。


2002年、飛騨高山でも、直井昭夫さんを中心に創作された飛騨の家「直井邸」に、上げ下げ窓がきれいにおさまっています。


引き違い窓と上げ下げ窓とが、なかよく互いに助けあい、共存してほしい。


h/m木サッシスタッフには、そんなおもいがあります。

20090707

歴史と今日の関わり、木サッシ篇

木製サッシの開発にあたり、
日本では、購入できないパーツがあったので、ぼくたちは,継続的に、いろいろな調査をしています。そんななかで、協力者のひとりに、いつも丁寧にやさしくアドバイスをしてくれる
Pella Windows & Doors ベルビュー市支店の Rich Bennettさんに、いつも冗談で、H/M木サッシとPella 社が協力し合ったら新しいマーケットがひらけるのではないですか、と、会う機会があるたびに話しをします。
現在、ペラー社は、最大手の伊藤忠さんが総代理店ですので、なかなかそんなことはできなんですが。。。。。。。
そんなやさしい Rich Bennett さんから聞いた話です。



全米を簡単にアメリカが西へと開拓をした歴史にあるように、 アメリカを3つに分けてみます。
まずは始まった東海岸(ニューヨーク、ボストン、ワシントンDC、フロリダ)、その次に海のない中程辺り、(デンバー、シカゴ、あたり)最後に一番若い、西海岸(ロス、SF,シアトルあたり),この3つのグループにわけてみます。

そうしますと、東海岸グループでは、住宅建築の70%が、木製サッシ。
グループ2のデンバーなどでは、40%、西海岸では、5%おもしろいですね、学者ではないので、わかりませんが、これは、いかに、アルミサッシや樹脂サッシが誕生した時点で、その各々のコミュニティーにすでにある,既存する、かわいいきれいな木サッシのおうちがどれだけあったかというようなことではないかとはなしてくれました。

ようするに、歴史を感じるかわいいきれいなおうちばかりのあるところでは、そのよさをしっているので、あたらしく住宅をつくるときでも、リモデルでも、窓は木製。というところはいくら予算がなくても妥協できない、ということ、逆に、まわりになんにもなくて、まったくあたらしいコミュニテーをつくるようなこところの多い西海岸では、業者は、どれだけでも安く供給したいので、樹脂サッシが90%。

いや,実におもしろいですね。(ちょっとはなしはそれますが、アルミサッシは、米国では、現在ほとんど住宅には,使われていません。なぜなんだろう。)

日本では、どうなんでしょう、やはり戦中、戦後のゼロ以下のまずしさからの再出発になりましたから、どうしても安くて安価なメンテナンスフリーのアルミサッシにいくらまわりにすばらしい木サッシで、できている古い民家が散在していても、やはり、アルミサッシになってしまてきていました。

ただ、今こうして記事を書いているわたしの世代はぼくたちの世代は、まだ少しではありますが、こころのゆとりをのぞむように多少すこやかに人生を歩む選択もゆるされてきているようなきがします。
たとえば、多少全体の家の面積を小さくしてでも、質にこだわる、窓を家具扱いできるような生き方も、選択肢にはいってきているようです、たいへんうれしくおもいます。私感です。
少しずつではありますが、がんばってます,ニッポン。


記事: 「歴史と今日の関わり、木サッシ篇」
木サッシ STAFF: 恭多